『オスプレイ』歴史的に見る戦争とレイテ島

フィリピンレイテ島を襲った台風は、最大風速が秒速105mと、
史上最大級のモンスター台風でした。台風による雨風が、
レイテ島を襲ったのは、まるで東日本大震災のときに襲った大津波と
同じような自然の猛威でした。今回のモンスター台風で一番被害を受けたレイテ島に、
日本とアメリカが協力して救援活動を行なっている姿に、
感慨深く見つめている人は、第二次世界大戦を経験した人たちです。
なぜなら、このレイテ島は、第二次世界大戦で日本の敗北を決定づけた闘いの地だからです。

思えばわずか160年ほど前の1854年、アメリカのペリー総督が、
日本に開国を要求しにポーハタン号でやってきて以来、
アメリカと日本は切っても切り離せない関係で、今日の日本があります。

歴史にもしもはありませんが、最初に開国を要求した国がアメリカでなかったとしたら、
日本もインドや東南アジアの諸外国と同じく、欧米の植民地とされていたであろうことは、
歴史家の誰もが認めるところです。
歴史の偶然のため、アメリカでは南北戦争、ロシアではクリミア戦争、
ヨーロッパではフランス革命からナポレオンの登場等の内紛や戦争が同時多発的に発生し、
極東に位置する日本への関心が少なかったがために、独立を保ち、
やがて世界の列強の仲間入りを果たすも、資源のない日本は他国に資源を求めざるを得なかったわけです。

それが、世界の列強との利害でぶつかったために第二次世界大戦に行き着いてしまい、
国を滅ぼし、連合国に占領されてしまいました。
ところが、共産圏との冷戦が始まったがために、
日本の共同支配からアメリカ単独での支配に変わりました。
ここでももしもがあったならば、ドイツや朝鮮のように2つの国に分断されてしまった可能性があります。
日本はアメリカと単独で和平条約を結び、安保条約も結んで、軍事面ではアメリカの庇護下に入りました。

軍備費に金をかける必要がなくなった日本は、
その後朝鮮戦争をきっかけに奇跡の復興を成し遂げ、現在に至ります。
そして、安保条約を結んだことによって、日本の国土をアメリカ軍の軍事基地として提供することになり、
軍事基地にオスプレイが配備されることとなったわけです。

オスプレイは、滑走路がなくとも離陸でき、
走行距離がヘリコプターと比べ物にならないくらいあるということは、
今回のレイテ島救援のため、日本の基地からノンストップで到着できたことでも証明されました。
まさに軍事面では守備範囲が圧倒的に優位になることを世界に示すことができました。
オスプレイの潜在能力にもっとも脅威を感じた国は、
おそらく中国です。中国は海洋進出が悲願であり、
フィリピンを始めとした東南アジア諸国と緊張関係にあります。
中国という超大国と平等に対決するには、アメリカの力を借りなければ不可能であり、
それは尖閣諸島で対立する日本も同じです。
属国になる寸前で、列強となり、やがて対立、戦争を起こし、敗れて占領され、再び独立するも、
軍事面では安保条約により、地位協定を持つ日本とアメリカとの関係は、
実はまだ160年程度の関係しかないにもかかわらず、これからもこの地球が滅びない限り、
永遠に続いていくものです。
オスプレイの出動に、歴史を振り返り、今後の歴史を見つめると、
国内オスプレイ問題は解決せざるを得ないものとなります。

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