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進化し続けるディスプレイの画質!実は人間の目はいい加減?!

新型iPad miniのRetinaディスプレイは目に毒である、というタイトルを見て、最近流行のPC眼鏡でも使えばいいだろう、などと思った。
目に悪い光線が出ていることが科学的に証明された、というような内容かと思ったからだ。実に誤解を招く表現である。
蓋を開ければなんてことはない、画質が綺麗すぎて初代iPad miniの画質が酷く悪く感じられるよ、という話。
最近ではよく聞く話ではあるが、何度も口に出るくらい、ディスプレイの高画質化、その進化にはすさまじいものがあるということだろう。
例えば、携帯ゲーム機の画質が、ゲームボーイからPSvitaあたりまで到達するまでの段階を考えると、ゲームボーイ、ゲームボーイカラー、ゲームギア、ゲームボーイアドバンス、PSP、3DS、PSVITAというような次元の移り変わりがあった。その画質の変化はまさに異次元への昇華と言える。自分の目は同じ筈なのに、見ている世界の色が変わる、常識が根底から覆されるような変化はまさに「目を疑う」というレベルだ。
すこし話がそれるが、昔の人は緑色を「青」と言った。青も青で、ようするに区別が無かったという話だが、これは日本に限った話ではない。
例として挙がりやすいのが、「虹は何色か」という問題。
これが日本では7色があたりまえとされているが、国によっては5色、2色なんていうこともある。
2なんて、どういう目をしてるんだ?とさえ思ってしまうが、人の見る色というのは、案外いいかげんなもので、区別するかどうかは人による、ということなのかもしれない。
動物にまで話が及べば、色さえない、モノクロの視界を生きているものもざらであるし、同じものを見ていても、同じ世界に生きていても、世界というのは文字通り十人十色という話。
しかしである、世界にはあらかじめ色はある。視界がクリアになればなるほど、色は鮮やかになる。進化すればするほど、世界本来の色が見えてくる。
それがこの、ディスプレイの高画質化の話に繋がってくる。
人はまだ「この程度の画質にしか、世界を捉えられていない」という事実。
ディスプレイという媒体を経由しなければ、改めてこの世界の色の細かさに気付かないという鈍感さ。
より美しい世界を見たいという願いが、このディスプレイの急激な進化の根底にあると思えてならない。
人の見る世界の高画質化は、一体どこまでこの世界の本当の色を表現出来るのか、今後も期待してやまない。